震災から3年。岩本町で地下鉄に閉じ込められそうになり、必死にツイッターで情報を集め周囲に連絡を取り、ボランティアチームと動き、福島にも何度も行きつつ、色んな可能性を探りました。あれから3年経ってつくばでは震災の影響はほぼ見られなくなっていますが、被災地はまだまだ。実家が津波に飲み込まれた南相馬の妻の両親は、今もつくばに避難しています。現在進行形なので自分の中で薄れていくことはないのですが、節目は節目。
写真は、妻の実家があった場所へ行った時のものです。あまりに何もなくなっていて見つけられなくて、携帯のGPSで検索してようやく近くへ辿り着き、残っていた玄関のタイルでなんとか確認できたという状態。
震災の年に産まれた三男には、磐青という名前をつけました。色々なものが揺らいだ年、磐石な世の中をつくっていって欲しいという思いでした。本当の意味での復興を担う次の世代が真っ直ぐ育って活躍できるように、我々大人は今できることをしっかり進めていくのみ。あらためて、がんばろう。